知らない間に、君たちはできることを増やしていた話|大きな手まりおにぎりと、小さなスプーン

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1歳

食卓の小さな大事件

小さな両手で、
自分の顔よりも大きなおにぎりをしっかりと握りしめる。

口いっぱいに頬張って、頬をぱんぱんに膨らませながら、
それでも誇らしげな顔をしているいちことにこ。

口の周りには白いご飯粒がいくつもくっついていて、
まるで勲章みたい。

隣では、もう一人が不器用にスプーンを握り、
ヨーグルトをすくおうと奮闘している。

狙いは定まらず、口の周りも、テーブルも、気づけば床までべちょべちょ。
まるで小さな泥棒さんが証拠を残しながら逃げていったみたいな惨状。

それでも、必死にスプーンを口へと運ぶその手の動きを見ていると、
思わず頬が緩んでしまう。

「……あれ? ちょっと前まで、ご飯をポイポイ投げてたのに」

つい先日まで、私は食卓の下に適這いつくばって、
投げられたご飯粒やおかずを拾い集めるのが日課だった。

「このポイポイ期、一体いつまで続くんだろう」と、ため息をついていたはずなのに。


必死すぎて、見えていなかったもの

毎日のワンオペ育児は、
正直、目の前のことをこなすだけで精一杯。

「遊んでないで〜」
「こぼさないで出来るかな〜」
「あー、また落ちた……」

そんな言葉ばかりを口にしながら、
片付けに追われる日々。

元保育士として、子どもがどんな順番で、
どんなふうに発達していくのか、知識としては十分に分かっていたつもりだった。

「今はこういう時期だから」
「これは成長の証だから」と、頭では理解できる。

けれど、実際に自分の子どもたちと向き合う毎日の中では、
そのプロセスをゆっくり噛みしめる余裕なんて、正直ない。

目の前の散らかったテーブルと、崩れそうな自分のスケジュールをどうにかするだけで、
いっぱいいっぱい。

知識があるからこそ、「ちゃんと見てあげられていないのかもしれない」という小さな申し訳なさが、心のどこかにずっと引っかかっていた。


手を伸ばして、止めた瞬間

いつものように、
こぼれそうになったスプーンにそっと手を伸ばそうとした、その時だった。

いちこちゃんの一人が、私の手を待たずに、
自分でスプーンを握り直した。

少し傾いていたスプーンの角度を調整して、
こぼさずに、ちゃんと口まで運んだ。

一瞬、時が止まったような感覚があった。

「あ……」

伸ばしかけた手を、私はそっと引っ込めた。

いつも私がお世話してあげなきゃいけない、
小さな赤ちゃんだったはずなのに。

気づけばいつの間にか、自分の力でできるようになっていた。

特別な練習をさせたわけでも、丁寧に教え込んだわけでもない。
ただ毎日、慌ただしく食卓を囲んでいただけなのに。

子どもたちは、私の知らないところで、静かに、確かに、大きくなっていた。

胸の奥がじんわりと熱くなって、
思わず涙腺が緩みそうになった。


寂しさと愛おしさは、背中合わせ

手がかからなくなっていくのは、嬉しい。
心から、そう思う。

でも同時に、ほんの少しだけ、寂しさも感じている自分がいる。

「もう、あんなにご飯を投げなくなったんだな」
「もう、あんなふうに手を貸さなくても平気なんだな」。

そう思うと、どこか取り残されたような、不思議な気持ちになる。

きっと、あのカオスな「ポイポイ期」も、永遠には続かない。
今この瞬間も、二度とは戻ってこない。

「できなかった時期」の、あのドタバタとした大変さも。
「できるようになった瞬間」の、あの胸が熱くなる感動も。

どちらも、子育てというかけがえのない時間がくれた、
二度と手に入らない宝物なの





。手を離していくそのプロセスそのものが、成長という名の、愛おしい贈り物なんだと、今は思える。


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