お風呂上がり、バスタオルでニコちゃんの体を拭きながら、
私はいつも同じ場所に目をやってしまう。
「……昨日より、広がってる気がする」
胸の奥がチクッと痛む。
1ヶ月前に見つけたその小さな赤みは、
薬を塗っても塗っても引く気配がなく、
それどころかじわじわと範囲を広げているように見えた。
幸い、痒がる様子はない。
ニコちゃんはいつも通り機嫌よく笑っている。
それだけが、かろうじての救い。
けれど、薬を塗ろうとすると、ニコちゃんはぷいっと逃げる。
追いかけて、なだめて、なんとか塗る。
そんな攻防戦が、毎日の日課になっていた。
夜、みんなが寝静まった後。
私はスマホを握りしめ、「幼児 湿疹 治らない」と日本語で検索する。
画面に出てくる情報はどれも私を安心させてはくれず、
むしろ「もしかして」という不安の種を次々に植えつけていく。
AIにも症状を打ち込んで相談してみる。
それでも、画面越しの言葉では、目の前のニコちゃんの肌には触れられない。
頭では分かっている。
こんなに長引いているなら、病院に連れて行くべきだと。
でも、どうしても体が動かなかった。
日本にいたら、私はすぐに病院に駆け込めただろう。
保育士として働いてきた経験もあるから、
病院での症状の伝え方も、聞かれることも、だいたい頭の中で想像がつく。
今までの自分なら、迷わず一歩を踏み出せたはずだったのに。
だけど、ここはポルトガル。
病院の仕組みもわからない。予約はいるのか、飛び込みでいいのか。ポルトガル語はもちろん、英語だって、自分の言葉で子どもの症状を正確に伝えられる自信がない。
「本当なら私は、こんな時どうすべきか全部分かっているのに」
プロとしての知識があるからこそ、
動けない自分へのもどかしさが募る。
全部分かっているのに、それを行動に移せない自分に、静かに苛立ちを感じてしまう。
「飛び込みで行って、もし断られたら?」
「症状、ちゃんと伝えられるかな?」
「そもそも、私の英語で通じるんだろうか」
スマホを握りしめたまま、何度も画面をつけては消す。
唯一の救いは、連れが少しだけポルトガル語を話せることだったけれど、
ちゃんと伝わるかが不安。
夜、ニコちゃんの湿疹をもう一度じっくり見てみた。
前よりも明らかに広がっている。
すがるような気持ちでAIに症状を伝えると、返ってきたのは、「早めに医師の診察を受けることをお勧めします」という、ごくまっとうな一言。
その瞬間、頭の中で何かがパチンと吹っ切れた。
「もう、迷っている場合じゃない」
翌日、私はニコちゃんを強く抱きしめて、家の近くにある私立病院に飛び込んだ。
予約もなく、完璧な言葉も持たずに。
受付では、拙い英語と身振り手振り、
そして翻訳アプリをフル稼働させながら、
必死に状況を説明した。
心臓は、耳元でバクバクと大きな音を立てていた。
「この不器用な言葉で、ちゃんとニコちゃんの状態を伝えられるだろうか」。
そんな不安を抱えながらも、目の前の我が子を守るために、私はただただ必死だった。
けれど、受付のスタッフや看護師さんたちは、
そんな私を冷たくあしらうことは一切なかった。
英語でも、ポルトガル語でも、私が少しでも理解できる方に合わせて、ものすごく丁寧に、ゆっくりと話しかけてくれた。
「大丈夫だよ」
そうはっきりと耳慣れた言葉で言われたわけではなかった。けれど、先生が見せてくれた真摯な眼差しや、ニコちゃんに触れる温かい手から、確かにそのメッセージが伝わってきた。
その瞬間、1ヶ月もの間、私の心の中で張り詰めていた糸が、ふっと緩んだ。
鼻の奥がツンとして、涙が出そうになるのを、必死にこらえた。
結局、その場ではっきりとした原因は分からないままだった。
それでも、深刻な病気ではないこと、根気強く薬を塗りながら様子を見ていけば大丈夫だということを、お医者さんは丁寧に説明してくれた。
ただそれだけで、私の暗い夜の不安は、跡形もなく軽くなっていった。
病院からの帰り道。
ポルトガルの明るい光の中、ニコちゃんを胸に抱っこしながら、私は自分の中で何かが変わったのを感じていた。
大切なのは、完璧な言葉が話せることじゃなかった。
スマートに何でもスマートにこなせる、完璧な母親であることでもなかった。
言葉が伝わらなくても、拙くても、ニコちゃんをぎゅっと抱きしめて「助けて」と病院に飛び込んだ、あの泥臭くて必死な一歩。
格好悪くても、その必死な一歩の中にこそ、母親としての本当の愛と、強さがあったんだと、心の底から思えた。
海外での子育ては、確かに孤独だ。
頼れる人が限られていて、日本で当たり前だったことが、何一つ当たり前にできない。
夜中に一人、スマホを握りしめて不安と向き合う時間は、これからもきっとなくならないと思う。
でも、勇気を出して一歩外に踏み出せば、そこにはちゃんと、手を差し伸べてくれる温かい世界が待っている。 そのことを、今回の病院のスタッフや先生が、身をもって教えてくれた。
もし今、あなたが夜中に一人で、子どものことで不安を抱えているなら。
「私のケアが足りないのかな」
「もっとちゃんとした親でいなきゃ」
そうやって、ビクビクしながら自分を責めていたら、どうしても伝えたいことが。
完璧な英語やポルトガル語が話せなくていい。
スマートに何でもこなせなくていい。
ただ子どもの手を握って、必死に一歩を踏み出しているその姿だけで、
私たちはもう、十分に素晴らしい親。
1歩踏み出したきっとその先には、あなたが思っているよりずっと優しい世界が、両手を広げて待っています。 あの日の私が、そうであったように。



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